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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)949号 判決 1978年7月27日

原告 古郡博尚

被告 遠藤重市 外一名

主文

被告遠藤重市は、原告に対し、金一、八八六万九、〇一六円及びこれに対する昭和四九年三月一二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告遠藤重市に対するその余の請求及び被告米山克彦に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告と被告遠藤重市との間に生じた分は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告遠藤重市の負担とすることとし、原告と被告米山克彦との間に生じた分は、全部原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

(事故の発生)

一  原告主張の日時及び場所において、原告の運転する原告車と武田哲夫の運転する被告車が衝突したことは全当事者間に争いがないので、以下、本件事故発生の状況につき審究するに、成立に争いのない乙第二、第三号証、第五号証、第七号証及び第九、第一〇号証、証人伊藤利一、同高木富雄及び同武田哲夫の証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると(乙第九、第一〇号証の記載並びに証人武田哲夫の証言及び原告本人尋問の結果中後記措信しない部分を除く。)、本件事故現場は、曽比奈方面(北方)から石坂方面(南方)に通ずる幅員六・六メートルのセンターラインによる区分及び歩車道の区別のない見通しの良いアスフアルト舗装の直線道路(本件道路)上で、本件事故当時交通量は少なかつたこと、原告は、排気量三五〇立方センチメートル・四サイクルの原告車を運転し、本件道路の左端より一・七メートル付近を時速約五五キロメートルで南進し、本件事故現場に差しかかつたところ、約一五〇メートル前方に対向直進中の被告車を認めたが、被告車はそのまま直進するものと軽信し、被告車の動静に注意することなく、同一速度で直進し続けたため、自車進路上を右折横断中の被告車を約一六メートルに接近してはじめて気付き、危険を感じたが、何らの回避措置も採れないまま被告車に衝突したこと、及び武田哲夫は、被告車を運転し、本件道路中央寄りを時速約四〇キロメートルで北進中、本件事故現場東脇にある石川敏治方邸内に右折進入しようと考え、本件事故現場の約二四メートル手前で右側の方向指示器を出し、約一〇・六メートル直進後、原告車を約八〇メートル前方に認めつつ軽く制動措置を採り、更に約八・六メートル直進した地点で再度約三八メートル前方に原告車を認めたが、なお原告車と衝突することなく先に右折を完了しうるものと軽信し、その後は原告車の動静に注意を払うことなく、時速一〇数キロメートルで右折を開始したため、約八メートル進行し、右折がおおむね完了し、後部が約一・八メートル本件道路上に残つている状態で、原告車左側に被告車左後部フエンダー及びバンパー付近を衝突させたこと、並びに右衝突により、原告車は約一六・二メートル南々西に暴走して本件道路の路外に転倒し、原告は約二一・二メートル南々西の本件道路外に投げ出されて負傷したこと、以上の事実を認めることができ、乙第九、第一〇号証の記載並びに証人武田哲夫の証言及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前段認定に供した各証拠に照らし、にわかに措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(被告遠藤の責任)

二 被告遠藤が被告車を所有し、これを運行の用に供している者であることは原告と被告遠藤との間に争いがなく、叙上認定の事実関係によれば、武田哲夫は、右折開始前、前方約三八メートル付近を対向直進中の原告車を認めたにかかわらず、その動静に注意を払うことなく、漫然右折進行した過失により本件事故を発生させたことが明らかであるから、被告遠藤の免責の主張は到底採用するに由なく、したがつて、被告遠藤は自賠法第三条の規定に基づき、本件事故により原告の被つた損害を賠償する責任がある。なお、被告遠藤は、原告の左大腿切断は被告米山の不法行為に起因するもので、このような事態は予見しえないから、同被告には原告の左大腿切断による損害を賠償すべき責任はない旨、また、原告主張の米山病院の治療費は被告米山の債務不履行又は不法行為による以上、被告米山の原告に対する診療報酬請求権は発生せず、したがつて、原告に損害の発生はない旨主張するが後記のとおり、原告の左大腿切断は、被告米山の債務不履行又は不法行為によるものではなく、本件事故の衝撃により直接生じた左大腿部中枢主幹動脈の損傷又は血栓形成による左下腿の壊死に起因するものと推認すべきであるから、右主張は、いずれも理由がない。

(過失相殺)

三 しかしながら、前記認定の本件事故発生状況に徴すれば、原告においても、約一五〇メートル前方に対向直進中の被告車を認めたにかかわらず、その後同車の動静に注意を払うことなく、漫然直進し続け、右折中の被告車に約一六メートルに接近してはじめて衝突の危険に気付いたが、ハンドル操作等による回避措置も採らないまま、右折中の被告車左後部フエンダー付近に原告車左側を衝突させた点で、本件事故発生につき過失があることは免れないものというべきであるから、右過失を損害賠償額を決するにつき斟酌するを相当とするところ、前記認定の本件事故現場付近の状況、本件事故の態様等に照らすと、過失相殺として、原告の損害額の三割五分を減額するのが相当である。

(傷害の部位程度及び治療経過並びに後遺症等)

四 成立に争いのない甲第一号証ないし第三号証、第一〇号証、丙第三号証及び第四号証の一ないし一六、原告主張のとおりの写真であることにつき争いのない甲第四号証ないし第七号証、原本の存在及び原告主張のとおりのレントゲン写真であることにつき争いのない検甲第一号証ないし第四号証、第八号証ないし第一四号証、第一六号証ないし第一八号証、第二一号証ないし第二九号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一三号証、証人古都巌、同池澤康郎、同小林六郎の証言並びに証人兼鑑定人渡辺脩助の証言及び鑑定の各結果並びに原告及び被告米山本人尋問の結果を総合すると(被告米山本人尋問の結果中、後記措信しない部分を除く。)、

(一)  原告は、本件事故により、膝関節面下約二五センチメートル付近の左脛骨開放骨折(挫滅創それ自体は、それ程大きくなかつた。)及び寛骨臼後縁骨折を伴う左股関節後方脱臼の傷害を受け、本件事故当日の昭和四七年一〇月九日、米山病院に運ばれ、被告米山の診察を受け、左脛骨開放骨折部の縫合手術を受けた後、同病院に入院し、同日から同月一七日までの間、ブラウン氏台に股関節部、膝関節部とも軽度屈曲した肢位で左下肢を載せ、左踵部から鋼線による水平牽引を受けたこと(右事実中、原告が本件事故当日被告米山病院に運ばれて入院したことは、本件全当事者間に争いがなく、本件事故により原告が左下腿開放骨折及び左股関節脱臼骨折の傷害を受け、本件事故当日同病院において被告米山の診察及び治療を受けたことは、原告と被告米山との間に争いがない。)、

(二)  翌一〇日午後二時頃には、事故直後から存した左下腿開放骨折部の疼痛のほか、左下腿の腫脹、左下腿開放骨折部から足先にかけてのチアノーゼ、冷寒、しびれ感、足背について触覚もない等左下腿の循環障害の症状が発現しはじめ、同月一一日には同部につき触覚が喪失し、同月一三日には左下腿の腫脹は更に増悪し、水泡の形成、組織の壊死による悪臭の発生をみ、細菌感染を生ずるに至つたこと、及び原告は、同月一七日同病院の整形外科医師小林六郎から左股関節脱臼の整復術を受けたのであるが(この事実は、原告と被告米山との間に争いがない。)、その頃には、既に左下腿に限らず、左下肢全体に腫脹が著しく、浮腫を生じ、悪臭がひどく、膝窩部、脛骨骨折部、足背部等に表皮が黒変し、深部に及ぶ壊死が広範に生じ、また、細菌感染が進行し、摂氏四〇度に近い高熱が持続する等全身状態は悪化し、同医師は左大腿切断もやむをえないと考えるに至つたこと、

(三)  原告は、同月一九日、湯河原厚生年金病院に転医したが、この間米山病院において連日のようにクロロマイセチンゾル、セポラン、RP塩酸テトラサイクリン等の各種抗生物質の投与、リセクトールT、低分子デキストランL等の補液及び総計一四〇〇立方センチメートルに及ぶ輸血を受け、同月一〇日以降は抗腫脹剤ベノスタジン、血管拡張剤カリクレイン等の投与を受けたが、左下腿につき、減脹切開、デブリードマン等の措置は受けなかつたこと、及び後日湯河原厚生年金病院において実施した細菌感受性テストの結果によれば、右各抗生物質中セポランは、原告の左下肢の感染菌に対し無効であつたが、クロロマイセチン及びRP塩酸テトラサイクリンは有効であつたこと、

(四)  原告の症状は、湯河原厚生年金病院転医時点においては、左下肢全体が強度に腫脹し、所所に皮膚が剥離し、左下腿の開放骨折部以下は紅紫色を呈し、温感、痛感とも完全に喪失し、膝窩部の大腿下部に及ぶ一〇センチメートル四方、開放骨折部及び足背部のほぼ全域の表皮はいずれも黒色化し、滲出液が出、左下腿動脈の膊動は触知可能であるが、膝部動脈及び足背動脈の膊動は触知不能となつており、転医翌日(同月二〇日)の同病院での壊死筋及び壊死皮膚のデブリードマン実施時には、既に、前脛骨筋を除く左下腿のすべての筋の筋腹は阻血のため壊死していたこと、

(五)  原告は、同病院における右デブリードマン実施後も、左下腿の循環が回復せず、壊死が進行し続け、全身状態にも改善が見られなかつたため、同月二三日再度デブリードマンの施術を受け、また、転院後継続して輸血、補液及び抗生物質の投与を受けたが、体温は摂氏三九度ないし四〇度を下らず、全身状態が極度に悪く、局所所見も改善しなかつたため、同月二七日左膝離断術の施術を受け、更に術後も局所状態が好転しなかつたため、同年一一月一三日、坐骨結節から約二五センチメートルの大腿部において左大腿部切断術を受けたこと、

(六)  左大腿切断後、諸症状はようやく安定し、同月二七日から松葉杖歩行を開始し、同年一二月一一日から右下肢の筋力増強、左股関節の可動域改善を目的とするリハビリテーシヨンを受け、昭和四八年一月八日同病院を退院し、同年八月一四日まで同病院に通院して治療を受けたこと、

(七)  原告は、昭和五〇年六月一七日後記後遺症の治療のため同病院に再度入院し、同年一〇月一四日、同病院において、前記左大腿切断のほか、左股関節が軽度外転・外旋の肢位をとり、屈曲三〇度、外転三〇度、内転零度、外旋零度、内旋零度の著しい運動制限を残し、レントゲン写真上外旋位拘縮を示し、全体に骨の萎縮がみられ、大腿骨頭の変形、関節裂隙の狭小化等の変形性股関節症の状態を示し、運動痛及び左臀筋痛を有する旨の診断を受けたが、なお、変形性股関節症は進行性に悪化の傾向を示しており、義肢装着による歩行は困難で、佇立も短時間に限られ、松葉杖による歩行、佇立を余儀なくされるとともに座位を長時間とることは股関節部痛により不可能であること、

以上の事実を認めることができ、被告米山本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前段認定に供した各証拠に照らし、にわかに措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(原告の左大腿切断及び変形性股関節症の原因等について)

五 原告は、原告の左大腿切断の原因は、米山病院における左股関節脱臼の整復遅延に起因する左股関節部の腫脹のため左大腿動・静脈が圧迫されて生じた血行障害と左下腿開放骨折部の細菌感染進行による出血腫脹とが影響し合つて生じた左下腿部の血行障害である旨、及び原告の変形性股関節症の後遺症の原因は、米山病院における左股関節脱臼の整復遅延にある旨主張するので、以下これらの点等につき審究するに、成立に争いのない甲第九号証(医師池澤康郎作成の鑑定書)及び証人池澤康郎の証言によれば、医学的見地からみて、原告主張のような可能性が存在しうる(右鑑定書及び同証人は、原告の左下腿壊死の原因とし、原告主張の各原因のほか、原告が米山病院入院直後から受けた左下肢の牽引の際、膝窩部に強い圧力が加わり循環障害を増悪させたとする。)ことが認められるが、他方、成立に争いのない甲第一一号証の一、二、第一四号証ないし第一六号証の各一ないし三及び丙第五号証の二、証人小林六郎、同萩野幹夫の各証言、証人兼鑑定人渡辺脩助、同室田景久の証言及び鑑定の各結果並びに東京慈恵会医科大学附属病院に対する鑑定嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すれば(証人小林六郎の証言並びに証人兼鑑定人渡辺脩助及び同室田景久の証言及び鑑定の各結果中、後記採用しない部分を除く。)、(一)原告の左股関節脱臼は、後方脱臼であつたところ、後方脱臼においては、その脱臼方向は後外方であり、したがつて、脱臼した大腿骨及び寛骨臼後縁骨折片が股関節の前面に位置する股動脈に損傷圧迫を加えることは解剖学的にありえず、却つて、脱臼側の下肢は、短縮し、内転屈曲位をとり、大腿動・静脈の走行に余裕が生ずるのであるから、後方脱臼により股関節部の血行障害を生ずることは極めて稀であること、(二)原告の左下腿の循環障害は本件事故翌日の昭和四七年一〇月一〇日昼頃には既に顕著に出現し、事故当日以来のクロロマイセチンゾル、RP塩酸テトラサイクリン等の抗生物質の連日投与、同月一〇日以降のリセクトールT、低分子デキストラン等の連日にわたる補液、翌一一日以降連日にわたる毎日二〇〇立方センチメートルの輸血及び原告の年齢(当時一七歳)にかかわらず、急速に進行し、壊死部位を拡大するとともに細菌感染を拡大し、同月一七日には小林医師が左大腿切断を不可避と判断するまでに悪化したのであつて、このような事故直後からの急激、広範な壊死及び感染の進行は、それ程大きくなかつた左脛骨開放骨折部の挫滅及び細菌感染による出血腫脹のみでは到底説明できないこと、(三)原告は、米山病院入院直後から、股関節、膝関節とも軽度屈曲した肢位で左下肢をブラウン氏台に載せ、踵部から鋼線による水平牽引を受けたため、左膝窩部に圧迫を受け続けており、また、同月二〇日の時点で、左膝窩部には一〇センチメートル四方にわたり深部に及ぶ壊死が存在していたのではあるが、膝窩動脈は非常に強い膝屈筋の深部を走行しているのであるから、このような圧迫により同部が壊死に至ることは極めて稀であること、(四)右の各事実に、原告の左脛骨開放骨折部位は膝関節面の約二五センチメートル下方であるにかかわらず、左膝窩部が広範に壊死したのであるから、その上部である左大腿部に血行障害の原因が存在していたものと推定すべきところ、前記認定の本件事故の状況からみると、本件事故は、下肢に対する防禦物のほとんどない自動二輪車(原告車)の左側面が普通乗用自動車後部に激突し、原告車を運転していた原告が左脛骨骨折及び左股関節脱臼等左下肢の傷害を受けたもので、衝突時、原告の左大腿部等の左下肢に強い外力が広範に作用したものと考えられるから、衝突時、原告の左大腿部の主幹動脈が強い衝撃を受けた可能性は極めて高いものというべきであり、したがつて、原告の左下腿の壊死は、本件事故による衝撃から直接生じた左大腿部の中枢主幹動脈の損傷又は血栓形成によりその末梢である下腿部への循環が阻害されたためと容易に推定しうること、(五)しかして、大腿部の中枢主幹動脈の損傷又は血栓形成の場合、患部の部位を確定し、循環を回復するためには、血管撮影を実施して患部を確定したうえ、患部血管の縫合、血管移植等の血管手術を実施することが必要で、この間、いささかの遅延も許されない(通常六時間以内)ところ、血管撮影とは、造影剤を血管内に注入し、その循環状況をレントゲン写真で連続撮影する検査方法で、高価な機械設備と高度の専門技術を備えた医師及び看護婦らの人的設備とを要するものであり、また、血管手術の実施にも高度な専門的技術を要するのであつて、そのいずれをも米山病院程度の規模の一般病院に期待することは不可能であり、そのため、一般的には手遅れになる場合が非常に多いのみならず、血管手術自体の成功率も低いこと、及び静岡県富士市所在の米山病院は血管撮影の設備を備えていなかつたが、同市から約五〇キロメートル離れた神奈川県湯河原町所在の湯河原厚生年金病院には右設備が備えてあつたこと、(六)原告の変形性股関節症の後遺症は、左股関節脱臼整復後、寛骨臼後縁の転位骨片が未処理のまま経過しているため、股関節面に不適合を起こし、関節軟骨が障害され、関節が荒廃に至つたもので、脱臼の整復の遅速とは直接因果関係のないものであること、以上の事実を認めることができ、証人小林六郎の証言並びに証人兼鑑定人渡辺脩助及び同室田景久の証言及び鑑定の各結果中、右認定と異なる部分は、前段認定に供した各証拠に照らしにわかに採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。しかして、右認定の事実((五)及び(六)を除く。)に徴すれば、原告の左大腿切断が、米山病院における左股関節脱臼の整復遅延による左股関節部の腫脹及び左下腿開放骨折部の細菌感染の進行による出血腫脹の競合に起因する旨の原告の主張並びにこれに沿う甲第九号証の記載及び証人池澤康郎の証言は、医学的見地からみて、一応の可能性は否定しえないものの、その蓋然性は極めて低いものといわざるをえず、他方、本件事故の態様、受傷後の循環障害及び壊死の進行状況等に照らせば、原告の左下腿の壊死は、本件事故による衝撃により左大腿部の中枢主幹動脈に生じた損傷又は血栓形成に起因する蓋然性が高いものといわざるをえないから、原告の左大腿切断の原因は、本件事故により左大腿部の中枢主幹動脈に直接生じた損傷又は血栓形成であると推認するのが相当である。

なお、原告は、仮に、本件事故により左大腿動脈の損傷を生じたのであれば、その損傷をもたらした外傷が存在した筈であるにかかわらず、かかる外傷の記載は米山病院の診療録にも湯河原厚生年金病院の診療録にも存在しないこと、及び動脈損傷個所からの出血により生じた筈の臀部周辺の内出血の兆候等が右各診療録に記載されていないことを挙げて、本件壊死は大腿動脈の損傷に起因するものではない旨主張するところ、前掲甲第三号証、丙第三号証及び第四号証の一ないし一六の右各病院の診療録中に右外傷及び内出血の兆候に関する記載が存在しないことは、その指摘のとおりであり、また、本件全証拠によるも、右各兆候の有無を確定することは、できないけれどもも、前記認定のとおり、原告の左下腿の壊死の原因は、大腿部の中枢動脈の血栓形成でもありうるのであり、また、証人萩野幹夫の証言によれば、大腿部は、容積が極めて大きく、かつ、筋肉が非常に多い部位であるから、中枢動脈が損傷されても、その位置によつては、その兆候が当然に外部に現れるものとは限らないことが認められるのであるから、右各兆候の有無を確定しえないことのみでは、未だ前記推認を左右するものということはできない。

(被告米山の責任)

六 してみれば、原告の左大腿切断に至らしめた左下腿の広範な壊死は、本件事故の衝撃による左大腿部の中枢主幹動脈の損傷又は血栓形成に起因するものと推認するのが相当であるというべく、したがつて、左下肢の広範な壊死を免れるためには、血管撮影により障害個所を特定し、血管手術を実施することが必要であつて、この問いささかの遅延も許されないのであるから、仮に、被告米山が、原告がなすべきであつたと主張する措置、すなわち、左股関節脱臼の早期整復、左下腿開放骨折部の十分なブラツシングと洗滌、同部の炎症に対る排膿、デブリードマン及び細菌培養同定感受性検査、壊死の進行状況の適確な把握とこれにする減脹切開、デブリードマン及び細菌検査若しくは転送措置等を実施したとしても、原告の左下腿の広範な壊死を阻止することは不可能であつたというべきであり、したがつて、原告主張の右各事由は原告の左大腿切断とは因果関係がないものといわざるをえず、他方、左大腿中枢主幹動脈の障害を除去するための血管撮影及び血管手術の実施を米山病院程度の規模の一般病に期待することは困難であり、更に、受傷後血管撮影及び血管手術実施までの間いささかの遅延も許されないことから、一般的に手遅れになる場合が非常に多く、かつ、同手術の成功率も低い事実に、米山病院と湯河原厚生年金病院(本件においては、同病院のほか、米山病院の近在の病院で血管撮設備等を備えた専門病院が存在するとの立証はない。)の距離及び本件事故発生の時刻等を勘案すると、特段の事情の認められない本件においては、仮に、米山病院において、初診時、足背動脈の膊動の触知不能等の左下腿の循環障害を発見し、応急手当後直ちに原告を湯河原厚生年金病院に転送したとしても、手遅れになる可能性は大きく、右応急借置及び転送が速やかに行われ、同病院において、遅滞なく血管撮影及び血管手術が実施されたとしても、同手術に成功した可能性は低いのであるから、原告を湯河原厚生年金病院等の専門病院に転医させなかつた点につき、被告米山の責任を問うことはできないものといわざるをえず、更に、原告に残遺した変形性股関節症の後遺症が米山病院における股関節の整復の遅速とは直接因果関係がないことは前記認定のとおりであるから、結局、本件事故後原告に残遺した左大腿切断及び変形性股関節症に関して原告に生じた損害につき、被告米山には、民法第四一五条又は同法第七〇九条の規定に基づく責任はないものというほかない。

七 (原告の損害)<省略>

八 (むすび)<省略>

(裁判官 武居二郎 島内乗統 信濃孝一)

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